公開イベント

2010年9月12日 記録ビデオ:

2010年9月12日(日)に金沢工業大学で行われた金沢シンポジウムの、記録ビデオ・発表スライド・発言テキストを公開します。

古代を解く:唐招提寺金堂の保存修理を終えて
竹中工務店 長瀬正

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発表スライド

長瀬正:竹中工務店の長瀬です。よろしくお願いします。私も伝統構法の設計委員会の事務局を努めておりまして、そういった関係でこの基調講演という形でたまたま10年ほど唐招提寺の保存改修に携わってきましたので、そのお話をさせて頂くということになっております。自己紹介ですが、私竹中工務店というゼネコンに入りまして、もともとゼネコンに入ったのは伝統構法したくてという積極的な気持ちではなくて、通常の構造設計といいますか、いろいろな建物を造りたいということで入りました。私今年で60になりますので、この36年間にどのようなことをやってきたかということを総括したいということもありまして、ここに示しますのは、建築構造がどのようなことに焦点を当てて精力的にやってきたかということです。日本では産学行政というようにそういったものが一つのベクトルをもって、あるテーマが決まれば、皆がそういう方向に進むのです。そうすると結構効率的に色々な技術開発ができてきた、という背景があります。

私の考えでは1965年から1975年の10年間というのは超高層の時代です。68年に霞ヶ関の設計建築センターができたということもあって、今の超高層の設計施工に必要な技術は大体この時代に集中的に開発されています。それから次の10年なのですが、これは色々な考え方がありますけど、私自身は原子力の時代だと思っています。75年から85年の10年、この時代の原子力関係の、設計解析といったものが新耐震設計法に活かされたというかたちで繋がっていきます。この時代の75年に私は会社に入りまして、しばらくしてから原子力発電所の耐震解析ということをやっておりました。それから次の10年ですけれど、85年から95年というのは、一つは大空間などドーム建築が作られたと、あるいは制震構造と言いまして超高層であっても揺れを抑えるような技術を組み込むこと、そういった時代であったと思います。その次の10年というのはちょうど95年の震災を含みますので、その後はやはり免震・制震・耐震改修といったものができてきましたし、この時代から木造、特に伝統木造につきましても耐震という観点からも取り上げられているという状況じゃないかと思います。今後の2005年からの10年をどういう風に考えるかということなのですが、やはり環境問題というものが一つのキーワードじゃないかと思います。今回の建築学会大会でもそういったセッションもございましてけれど、やはり環境といった点での木造、あるいは原子力、そういったものの再評価というのがなされるのではないかと。それから高強度材料ということで、コンクリート、鉄、それぞれの構造化ということもまだ考えられているというようなことがあるんじゃないかと思います。こういった中で75年に会社に入りまして、最後の10年間は唐招提寺で改修工事をしたという経歴でございます。

唐招提寺ですけど、これは少し古い写真ですが、本堂が御座いまして、講堂、鼓楼と経蔵、宝蔵、という5つの建物が国宝でございます。その他に御影堂、あるいは礼堂が重要文化財といった配置が唐招提寺でございます。これが、今回やりました金堂の平面でございますが、7スパンの4スパンです。けた行方向が28m、梁行き方向が14〜15mという形で、大体古代のこういった建築のスパンというのは、4m前後というのが標準的で、部材として使えるものが10m前後、それを2スパンで使うということで、5mを超えるスパンはあまりないです。唐招提寺もこういった形で、7間×4間という配置になっております。ここに書いてある寸法は、現在のm法での寸法で非常に細かい数字になっております。それから立面図が正面図と側面がこういう形になっております。この寸法ですけれども、現在の尺(30.3cm)ではなくて、古代の尺はもう少し小さかったと。唐招提寺に当てはまる尺というのは1尺が大体29.8cmあたりということで、現代の尺よりも小さくなっております。尺というのは元々人間の人差し指と親指の間隔で、大体18cmくらい、これが普通の尺なんですけれど、だんだんとこれが大きくなりまして、今は大体30cm。こうった度量衡というのは国の経済力が進むと、度量衡も絶対的に大きくなるんですね。税収との関係がありまして。ただ、この時代、奈良時代というのは前期で、大分伝というのがありますが、平城京の大分伝では、ここにありますように29.5cm、それに比べて29.8cmというのはそれほど変わらないという形ですが、これでもはっきりいうと奈良時代の前期、後期では尺の基準となる単位が違うということです。

もう一つ、あとで申し上げますけども、立面で注目して欲しいのは、鴟尾の位置なのですね。普通は寄せ棟ですからここから45度にあげていくのですけれども、この建物は45度じゃないのです。少し鴟尾が外側に来ています。45度にきますとちょうど、鴟尾の位置というのはこの柱の真上に来ます。少し離れているということは、これはやはりデザイン的な問題があったと思うのですが、また後で申し上げます。こういった面白い特性があります。それからこれが梁行きの断面です。主に、梁がどうかかっているかということであるのですけど、特にここで申し上げたいことはこういった古代、あるいは伝統建築というのは、構造の分け方が、現代の構造材、非構造材というような分け方ではなくて、化粧材と野物材、つまり見える材料か見えない材料かというように、構造材だと見える材料は化粧材でしっかりとデザインされています。現在の構造部材の名称とは違うということは、基本的な考え方も違うのではないかと思います。これは明治改修の時で今回の平成の改修前ですけど、特徴的な洋小屋のトラスあるいは2段の羽根木がここに見えます。部材関係も化粧材につきましてはヒノキ、野物材はマスという、一部に鉄も使われておりますが、こういった組み合わせになっております。

何故今解体修理かという風なことについて少しお話したいと思うのですが、まずこの写真をご覧頂きたいと思います。これについて何かご存じでしょうか。これは東大寺の大仏殿なのですね。これは明治の修理前です。明治30年あたりから修理が始まっているのですが、その修理する前の大仏殿の形、軒は垂れ下がり、軸部はゆがみ、今にもという風な形です。こういったことを考えますと、文化財の保護の歴史というのは、最初に明治維新がありまして、廃仏毀釈という形でかなり寺院がうち捨てられた時代であります。ここで特に、ここに書いてありますが、興福寺の5重の塔が安く売り出されたという話もございますが、ここでは廃仏毀釈、明治維新の関係で、今まで江戸幕府が手厚く維持管理してきた建物がうち捨てられたという状況でございます。そういうことで明治30年に出来ました古社寺保存法によって、非常に傷んだお寺を補修しようと動きが法律的にもできました。国が補助するという形ですね。ここにありますように、唐招提寺金堂、興福寺の5重の塔、薬師寺の塔と東大寺の大仏殿と、この古社寺保存法明治30年のあとにスタートして、補修が始まったという建物です。その後は昭和4年の国宝保存法、それから昭和25年の文化財保護法と、法隆寺の金堂の壁画消失などそういったことが、文化財保護法にまとめられたということです。現在、国宝の建造物というのは、9月現在で263棟、重要文化財が4363棟、重要文化財の中に国宝は含まれておりますが、これぐらいの建物がございましてそのうちの9割が木造だということです。それから文化庁ができてから、阪神大震災のあとには、文化財の地震対策に関する指針関係が整備されております。

先ほどの明治の修理というのは、古社寺保存法による修理ですれけど、廃仏毀釈等でうち捨てられた、非常にせっぱ詰まって後のない建物の補強ということですから、かなり大胆な手法が取り入れられています。ですからのこの大仏殿につきましても、先ほどお見せした写真の補強をするために、ここは鉄骨のトラスが入っています。23mの大仏の上は鉄骨造のトラスです。こういったことまでしないと建物を維持できないという状況であったということをご理解頂きたいと思います。明治というのは、唐招提寺もそうですけれど、最新の西洋の進んだ技術というのを積極的に取り入れて使ったという形で、伝統が積極的に革新を取り入れたという時代になるかと思います。

今回の唐招提寺の改修なのですが、明治の古社寺保存法の後に改修が行われていますので、それから100年です。100年ということはまだ大規模な改修の時期ではないのですね。ところが今回平成の大改修をするということになった原因が、柱の内倒れなのです。構造的な問題で建物がゆがんでいるという状況です。これはCGなのですが、建物が大体5mの高さがありますが、それが12cm内倒れと言うことで1/40であり、地震を受けたときの安全性に関わるような問題だということです。倒れている原因としては大きな庇、軒の垂れ下がりによって、内側に力がかかり、それが釣り合わないといいますか、左右に押されています。ここに大虹梁があります。今回の唐招提寺というのはここに大空間がありますので、大虹梁というのが左右の庇から少し上がっております。ですからこれがつかえ棒にならずに、ここで升組が回転して、左右からの押す力が釣り合わないということで変形したということになります。これによりまして、目にみえて柱の内倒れもすぐわかりますが、そのほかそれに起因して、升切りが非常に口を開けているという譲与強があったりあるいは、升組も外側に倒れていたりということで、見るからに何らかの対策が必要だと、特に構造の問題であろうということを奈良県が考えました。構造コンペという形で、今回の国宝修理には構造技術者を参加させて、問題を解かせるという風な方法がとられました。それで我々竹中工務店がパートナーとして選ばれました。

ここに技術提案の資料に考え方等を書いているのですが、基本的には国宝・重要文化財の構造補強の基本と言うことで考えますと、歴史的な時間スパンと、1000年以上もってきた建物でこれを今どうするのだということを考えるにあたって、これまでどうしてきたかという、その歴史的なスパンの中で、自分たちがやることを位置付ける必要があるということです。もう一つ補強システムの分類ということがあるのですが、これは新しく我々が学んだことでして、とにかく歴史的な存在であるということで、現在の補強がベストであるわけではないという形ではっきりと分類させて、将来の改修に繋げようという考え方が基本的にあります。それからあと一つは、下に書いてありますが、基準法では、第3条では基準法の枠外なのですね。国宝・重要文化財は基準法を適用しないと。これは基本的に、外力・設計荷重等はこれを扱うものが独自に決めて、安全性を判断するような方法をとる。今回修理保存の委員会というのができまして、そこで議論を重ねておりますけど、基本的には外力地震力の大きさ、それからそれに対する安全性というのは、規定されていないという問題がありますので、ここで何故もたないではなくて、何故もってきたかと。よく持たないということは簡単に言えるのですけど、1000年以上経っていると言うことで、何故もってきたかということをきちんと説明しないと何ら補強には結びつかないという問題があるかと思います。

今回の保存修理なのですが、ここに年表を書きますが、まず基本的にはこれは奈良県の設計施工なのです。竹中工務店がこれに参画していますので、世間からは竹中工務店からの設計施工のようなイメージがあるのですが、国宝・重要文化財というのはそれを触る、使うには文化庁からの資格がいります。有資格者でないと扱えませんので、我々ゼネコンは残念ながらこういうことはできません。我々がしたものはあくまでも、奈良県が設計施工、所謂修理のストーリーを作って修理するということために、構造的な問題を解決するというお手伝いをしたということです。ここにありますように構造の調査、解析、実験を行ったと。それをフィードバックして、内倒れの原因をつきとめて、それからどういう補強をすれば内倒れがなくなるか、あるいは耐震的にはどうかという風な検討をさせて頂いたというのがこの11年間の流れであります。

まず歴史的な変遷という形で、これは非常に面白いのですが、架構の変遷ということを少しお話したいと。伝統ということは積極的に革新をしているということもあるのですが、構造的な問題でこういった建物というのは改変を重ねられています。まず創建時、これは奈良時代の後半ですが、天平の軽やかな屋根といいますか非常に薄い屋根、それから、地垂木で屋根を支えるという基本的な屋根の構造です。これは900年間続いていたということです。

江戸時代になって、元禄になりまして、大分大きな改修がなされたと。一番大きいなのは、ここに書きますが、屋根が2.8m少し大きくなります。大きくなった理由というのは、後で話しますが、中の構造材に羽木という構造材が入ったということが一つあります。それとあと一つ元禄で注目すべき事はここの方杖。内倒れで左右からの力をバランスさせるために大虹梁が役に立たないということであれば、方杖を入れてそれでバランスさせる。これは構造的には非常に理にかなった考え方ですが、やはり内陣、仏様のところにこういった方杖が出るとことになったので、多分明治の人はそれをなくしたいという思いで、当時の新しい技術である西洋のトラス、あるいは貫の垂下を抑える基本的な技術である羽木の補強と、2段羽木という風な形で何とか対応しようとしたというようなことがこれまでの経緯じゃないかと思います。

これは、我々が過去の架構の変遷を構造的に見ますために、作った解析モデル、それを少し化粧していますが、こういった、創建時、元禄、明治という形で架構が出ております。まず創建時から2.8m屋根が上がって、それからその間に屋根が2重に出来たと、野小屋が出来て、その上に野垂木が出来た。それから羽木というものが入る。それから方杖が入ったというのが元禄の改変ですね。明治になりまして、屋根関係はトラスに変わって、羽木は2段羽木になって方杖はなくなり、貫もなくなっている。羽木を2段にして大規模なものにしましたので、ズレ落ちるということで、ここにタイバー的に鉄筋が入っているとのが明治の改修であります。これは明治の改修前の内陣の様子ですが、ここに方杖、大虹梁があってその間に方杖がつかれていると言う風な状況です。それが明治の改修で行ったことです。

これは先ほどお話ししましたけれど、創建時、浅野先生が復元された建物の正面ですけれど、それに対して現状はこういう形である。これが明治江戸の改修後の建物の形であり、これがしかも平成もこういう形になっております。ここで先ほど言いましたようにここの鴟尾の位置ですね、ここの2つの建物の屋根を見て、唐招提寺の非常に重厚な感じというのは、昔からではなくて、江戸の改修で作られて、それが日本人の感性にあっていたのではないかと。その時に、鴟尾の位置を従来通りにすると屋根の形が、棟の長さが短くなっておかしくなるというので、屋根の勾配を大きくすることに合わせて鴟尾の位置も少しずらしたというような、審美的といいますか、そういった扱いがあったんじゃないかと思います。

屋根を高くしたということの理由は3つあります。一つは構造的に羽木というか、軒の出ですね、ここの軒の出を支える構造体、キャンチレバーを入れるためのスペースが必要だったということと、やはり機能的に雨水をどうながすかということですから、勾配が大きい方がいいということで、勾配が5寸勾配から8寸勾配くらいになったということです。それからもう一つは建物の見えがかりですね。格好といいますか、立派に見せるとことがあったということで、3つの原因で屋根が高くなったんじゃないかというように考えられます。構造的な問題、見た感じの格好の問題で、屋根の勾配を変えるというのは結構あるんですね。これが薬師寺の東西塔に比較です。西塔の方は昭和56年に西岡棟梁が再建されたと、実はこれは2つ全く形が違うのです。これは屋根が非常に軽やかといいますか、薄いという感じがします。東塔というのは屋根が分厚い。もちろん壁の扱いも違いますけど、基本的に屋根の形をみるとやはり違うんですね。ここで東塔というのは、昔から残っているのですけれど、江戸時代あるいは明治時代に改変されている。その結果がこの屋根の形なのです。どこが違うかというと、唐招提寺と同じでして、こういった伝統木造の大きな瓦を葺いた屋根というのは、軒の先がたわんでゆるむことになると、その軒先の変形を如何におさえるかというところが大工さんの腕の見せ所だったわけですね。西岡先生が行ったのは西塔の復元です。通常の尾垂木があって地垂木があるという構造ですが、この尾垂木もここで少し補強されています。基本的に部材構成はオリジナルな形に近いと。それに比較して、東塔というのは羽木が入っています。三重の屋根の一番雨水を受けるところが、ここに羽木が入っていまして、それをいれるために3寸勾配が5寸勾配に変わっている。羽木を補強するために形が変えられたのではないかと考えられています。これが明治改修前後の写真なのですけど、ちょうど明治修理前です。少し見にくいですが、尾垂木の先端を全て支柱で支えているのです。三重は全てを支柱で支えていまして、二重と初重は四隅を支えているということで、とにかく変形問題にどのように対処するかということにかなり苦労していた。そのための構造的な改変が行われたというのが、唐招提寺に限らず、こういった形で見られます。

次に、一般的な話ですが、伝統の技ということで、伝統建築にどのような技があるかと。今回の講演のタイトルが伝統を解くということですが、そういった伝統の技というのはどういったものかというのを少し考えてみたいと思います。特に技という技術を考えるときに、対して考えるのは技術と科学である。それをどういうように考えるかという考え方です。今回10年間こういった仕事をしてきて私なりに考えたアイデアなんですけど、知識とか科学とか文明とかは頭に属する物ですね。知恵とか技術とか文化というものは手に属するものである。科学というのは人間の頭で、技術は人の手だと。技という字は手偏に枝と書くんですけれども、非常に細かい手仕事を表しております。ですから、人の手が技術の基本であるとすると日本の伝統木造は、これほど技術を把握できたものはない。我々は今回古代を解くというタイトルにしておりますけど、こういった知恵と技術というものを何らかの形で知識化したいということです。伝統技術の継承と言うことになりますと、技術というのは手のものですから、人間の育成というものが第一なのです。ところが、我々構造技術者としては、それだけではなくて、その隠された知恵と所謂汎用化できない、きちんと伝えることができないもの関して解き明かして、知恵でなく、知識にすると、汎用化できる。知恵を知識にするのが科学であるから、こういったもので何とか昔の知恵を解き明かしていきたいという大胆な思い入れが最初にありました。

ここで、年配の方はご存じだと思うのですが、小学校の算数で鶴亀算というのがあるのです。鶴亀算とか植木算とか解法としてのテクニックを覚えるのですね。ところが、中学校に入りますと連立方程式で全く難しいことは考えずに、式に書き下すとあとは機械的に解けるといった世界になります。これから、鶴亀算が技術であるとすると、連立方程式は知識であり、誰でも解ける方法である。ですから、こういったように知恵を知識にするという科学が、人間の文明の一つの方向です。ところが、最近のコンピュータ依存のブラックボックス化という問題もあって、こういった誰でも気軽にとけるような知識だけですと、知恵に隠された内容的な物あるいは、知恵であっても知識に置き換えることができないようなものがあります。置き換えられないものは捨てていくと、ここで知識をもう一度知恵に読み解くというような逆の考察も必要ではないかと思います。今回の古代を解くというのは、昔の知恵を現代の知識に置き換えたいということですが、やってみるとそれだけでなくて、中々置き換えがたいものもあるというのが現在の感想です。お手元のテキストにもありますけど、伝統木造の中で、色々なシステムなり構造なり材料なりで、言われている言葉があります。そういったものを現在の言葉に置き換えて対応を見ようというのが、今回の試みだったわけであります。解体修理というシステムですね、これは長寿命化ということで維持保全とかLCMという言葉があるのですけども、こういったシステムがあるということが木造を長く持たせたということに気がついたわけで、やはりそういった考え方で現在の長寿命化を読み解く必要がある。手当がし易いというようなことですね。最近の免震・制震で、損傷した部位を取り替えるという考え方があるんですけど、基本的には先ほどいいましたように、野物材と化粧材の全てが目に見える、傷んでいるところがわかるので、取り替えやすい。木ですからもちろん、解体してから取り替えることができる。こういった持っているシステムの話、あるいは構造としての話、それから材料としての話に目を合わすことによって、非常に今後の建築参考になるのではないかとように思います。

こういった技術という考え方を認めていただいて、今回の建築学会の学会賞、技術賞を頂きました。こういった十数年間つづいた建物、業績というのは、建築学会では大抵業績賞になります。ところが我々は技術というものが伝統木造については必須のものであると、技術を評価するべきだということで技術賞に応募して、技術の賞を頂いたという形であります。今回の学会賞の2つのポイントは、特に構造世界と文化財の占める世界、そのお互いのキャッチボールがあったという考え方になるかと思います。成果1におきましては文化財修理における構造解析技術の有効性と、所謂構造技術として非常に役に立つということを分かっていただいているということが一つ大きな成果であります。逆に我々は文化財の構造補強というのはどうすべきか、どうあるべきなのかということを実施に学ぶことが出来る。歴史的な時間スパンで考えると言うこと、なぜもたないかではなくてなぜもってきたかということ、あるいは分離するシステムだということもあって、そういったお互いのキャッチボールといいますか、そのような意思疎通が出来て、非常に今後の文化財補強といいますかそのようなものに構造が必須、必ず役に立つというような状況を作り上げたということが大きな成果だと考えております。

少し構造の話ですけれど、天秤構造というものですが、基本的には伝統構法というのは梁の力学です。単純梁、あるいははねだし梁の力学です。こういった両端を支えられた梁というものがあります。深い貫を出して片方を伸ばしていくとはねだしの梁になります。先端に力がかかりますと後ろが浮き上がるという形です。これがてこの原理、あるいは両側が釣り合っているという天秤構造と言われるものです。ここで、唐招提寺だけではないですが、羽木を使った構造、これが天秤です。先端の屋根の荷重を、後ろの屋根の荷重で抑えています。明治時代のトラスというのは非常に合理的です。屋根の荷重をこの後ろの羽木で全部抑えます。それで両端の荷重を釣り合わせて天秤にしているということになります。あと、よく言われているのですが、通し柱がなく、管柱でしかもそれが少しセットバックしているということで、そのセットバックによって天秤構造が生まれているということが言われています。先ほど言いましたが、羽木というのは貫の変形を抑える、有効な技術なのですが、基本的に天秤なので、釣り合うカウンターバランスがいるということです。これは平等院の鳳凰堂ですけど、軒先の垂下を抑えるために3段の羽木が入っています。ところがこの羽木は後ろの抑えが少ないです。ですから羽木としての効きが悪いという形であり、こういったことも羽木を使う場合には考えなければなりません。

唐招提寺の耐震性を考える場合、ほとんどの性能は柱が太いということ、屋根の荷重が重たいということ、所謂傾斜復元力なのです。全体の耐力の7割くらいが唐招提寺の傾斜復元力という耐震性能です。傾斜復元力を考えるとき、建物の自分自身の力で元に戻すという、起き上がりこぼしと同じ原理です。起き上がりこぼしというのは重心が低いですから、傾いても自分自身の重さで元に戻すというような働きです。それが伝統木造の柱の耐震性に対応しています。ここでポイントは、やはり大きく変形するためには柱が太くなければいけません。太い柱で大きく変形できる、あるいは上からの抑え、屋根荷重が大きくないとそれ自身で元に戻る力にはなりません。案外、傾斜復元力、復元力という建物を元に戻そうという力は、屋根の大きな重たい屋根というものがプラス側に効いています。地震力についてはマイマスですけれど、変形した建物を元に戻すという力については、屋根荷重がプラスに効いています。

今回我々が色々な補強関係、構造解析を行うにあたって、コンピュータというのはモデルを組めば誰でも解析ができるのですが、そのモデルの中にどのような象限を入れていくかということが重要でして、そのためのデータの確認という形で、十一年間、最初の三年だけですが、調査事業という形で、色々な調査、あるいは解体における調査ということで、やらせていただいて、そういったものをコンピュータのモデルに組み込んで解析の精度を上げました。屋根の重量測定、ボーリング調査、表層の地盤における地震の伝わり方、あるいは基壇の性質、常時微動、建物を押すことによってどれだけ速く揺れが治まるか、そういったことを調べました。それから部材につきましては、これは打撃試験といいまして、組み込まれた状態で木口を叩きまして、その音を分析するという形で、部材のヤング係数がわかるというような方法があります。もちろん実第の升組の試験、クリープ試験、それから解体においた部材の破壊試験ということをやりました。これらをモデルに反映していったというわけです。

まず下からいきますと版築というのが、普通寺院建築の基壇です。今で言うと所謂地盤改良です。土を付き固めていって硬くしているという構造です。万里の長城も一番初めは版築です。版築の構造を調べるために解体前に、基壇に、レーダー探査といいまして、電磁波を出してその反射から成層構造、ここにありますように、基壇の中をどのような層構造になっているかを調べるということです。それから、先ほどの板たたきによりまして、地震波が伝わる速さを調べると、版築層というのは非常に地震波を伝える速さが速いですね。速いということは固いのです。ですから、非常に柔らかい地盤の上に基礎があって、その上に建っているという形で、これは地震力に対して非常に有利になっているという考え方を私はもっておりまして、こういった版築という基壇というものが一つ耐震性にプラスになっているということがいえると思います。この版築というのを解体前に調べて、解体後にも仕上げを波がしまして、トレンチをはりました。それからこういった版築の成層状態を見て、さらにここで載荷試験ですね、地盤を押し縮めるといいうことで、所謂耐力試験もしました。30cmの円盤を押すのですが、その反力としてこういった水槽の下にジャッキを仕込んで、水槽の重みで反力にして、地盤を押しているという風な実験です。こういう風な形で耐力的なチェックも行っております。

それから、常時微動は良くされるのですけど、建物がどのように揺れるかという形で、常時微動の結果を求め出しますと、短手方向に0.9秒、ねじれで0.8秒、長手方向で0.6秒くらいという揺れが出てきます。これは解体前の結果でして、本当は解体修理後も同じ試験をする予定だったのですが、タイミングがうまくあわずに、解体補強後にどうなっているかということは確認できておりません。こういった常時微動に合わせて、建物を揺らして、共振させて建物の周期で揺らしますと、これが振幅ですけども、こういった形で段々と、何人かが息があってきますと段々共振していきます。共振した段階で押すのをやめるんですね。そうするとずっと揺れが治まっていきます。この揺れの収まり方をみると、建物が本来もっている減衰性能というのがわかります。こういった実験をしまして大体2〜3%、減水定数という表現ですが、RCで2%、鉄で3%ということに対しましてほぼ近い形になっております。これは微小変形ですから、もう少し変形が大きくなると変わってくるという形で、こういった常時微動、それから人力加振によって建物の周期あるいは減衰の性能がわかります。これは先ほど言いました打撃試験ですが、木口を叩いて音をだし、その音を周波数解析して、どの周波数が出ているかということで、この部材の固さ、ヤング係数を測ります。普通こういった打撃試験というのは、蠅積みといいましてフリーな状態でやるのですが、こういった建物の中では色々なところで拘束されています。これは大虹梁ですが、こういったところで拘束されているので、扱いが難しいのですが、こういった場合でも、色々な音が出ます。低い音から高い音まで、一番低い音ではなくて少し高い音、2次3次の周波数に注目して、解析しますと大体、色々なところが拘束されていましてもヤング係数を推定することが出来ます。こういった形で、解体する前に何本かの部材のヤング係数を推定して、コンピュータに入れたということです。

それから、升組、こういった伝統構法升木の組み物というのが一つのポイントですので、これは唐招提寺と同じサイズのものを奈良県の大工さんに作っていただいて、竹中の技研、千葉にありますが、そこに持ち込んで実験を行いました。こういった自然材料というのは必ず実大実験しないと意味がないですね。縮小実験をしたりするとお互いの相似則が成り立たなかったり、色々なことがありまして、まず実大実験をしましたということです。ここに力を加えてどういう変形をするかと、その変形が解析のモデルで合うかどうかということで、解析モデルの検証も兼ねて実験をしたということです。それから木の特性としては、こういった升組というのは木の横使いなのですね。木を横使いして力をかけるとめり込むというような問題があります。めり込むというのはある意味では変形しやすいということで、変形しやすいということはそこでエネルギー吸収をするということで、耐震的にはプラスなのです。そういった特性をみるために、どのくらい変形しているかと言うことで、一つ問題は、変形というのは時間が経つと段々増えていきます。これをクリープといいますけど、こういっためり込みに対するクリープ実験というのは中々無かったのです。それを今回、先ほど使った実験の供試体をそのあと、今で5年以上になるんですけども、力を加えて、変形がどう進むかという風な試験を続けています。これは横軸が経過時間で、1100日、約3年です。スタートの変形がここにあります。最初に力をかけると、8mmぐらい縮みます。その後3年ぐらいするとそれが38mm、この比をクリープ係数といいますが、これが4倍、最初の変形の4倍くらいまで変形が進んだというのが実験でわかっています。これは今はほぼ落ち着いていますが、ずっと計測を続けていますので、5年程度のデータが出来ているという形です。こういったものをどうするかということなのですが、ちょっとわかりにくいですが、これはある梁があったときの時間と変形量のグラフです。最初に1という変形をすると、時間が経っていくと、例えば100年すると2.6くらいになります。これが新しい材料を100年間やったときの値です。ところが、力を抜くと、断線変形が落ちるのですが、さらにクリープで進んだ変形も戻ります。そこでまた力をかけるとこうなるという形で、新しい材料は1から始まって100年経つと2.63になります。ところがこういった履歴を経ている材料は、100年たって1.63から2.8になります。変形の増大量が違うのです。ですから新築の材料と古い材料を組み合わせて使うという時に、どういう風な変形になるかと言うときには、曲げクリープあるいはめり込みクリープ、こういった情報がないと正しい評価ができません。今回、曲げクリープは既存の実験があります。それからめり込みは今回やりました。そういったデータを使って最終、新材と古在を混ぜて使った時にどういう風な変形になるかと、そういうようなものに使えるのです。あとは、解体した部材、新しく作った部材についてもこういう形で、現地で力をかけて、破壊しないぐらいの力をかけてはかると固さがわかります。あるいは再利用しないという部材は破壊試験までできますので、ここで耐力を調べると。あるいはさらに細かく、欠点がないように細かく切り刻んで周辺の圧縮試験も行って耐力を調べたということです。これは結果としては現状のヒノキと同等の耐力があったと。1200年前のヒノキが同じような耐力があったという結果を得ております。

次に、こういった実験のデータを用いて、調査のデータを用いて構造解析と補強をどうしたかという話を致したいと思います。これが構造解析モデルでございまして色々詳細なモデル、先ほどのめり込みということも御座いまして、升の所にも一つずつバネを入れたモデルにしました。ここにありますように、これをやったのは実は10年前なのですね。コンピュータの性能というのは1年で大体倍くらいに上がるのです。ですから10年経つと、2を十回乗じた1024倍になります。コンピュータというのは10年経つと一つオーダーが上がります。昔はメガの時代が、ギガになって、ギガがテラになると、1000倍1000倍になるというのがコンピュータの世界です。ですから10年経つと昔作ったこういったモデルというのは簡単に解けます。ですからいくらでも大きなモデルは解けるのですけど、大事なことはそのモデルの信頼性、そこに入れるデータの信頼性です。そこに入れるデータをどう検証するかということが一番大事なのです。そのために我々は今回、色々な実験、調査をやったという、一つのやり方です。こういうのが大事だと思います。コンピュータ解析で良いのは、一つは数値実験です。内倒れというは水平力が発生して、それで大虹梁の下で変形するという話はしましたけれど、では実際水平力はどこでどう生じているのかということを評価するのは、コンピュータのモデルが一番いいのです。コンピュータのモデルというのは一つ作ると、ある部材を取ったり入れたりできます。それで所謂内倒れの犯人捜しをするわけです。

ちょっと見にくいですが、これは尾垂木です。ここに2段羽木があります。明治は2段羽木の下に方杖、下羽受け方杖で、こういう支え方をしています。問題はこの下羽受け方杖とそれから、さらに羽木から地垂木を介して尾垂木の先端にかかっているこの力、こういったものが問題であろうという形で、このような2つのものをなくすと、従来のモデルでは3cmくらいの内倒れが8mmとか7mmくらいに落ちます。ですけど、反対に軒先の垂下が非常に大きくなります。ということで鉛直変形、8cmくらいの変形が12cmということで、ですから内倒れるか軒先の垂下を取るかということが一つの考え方かと思います。それから申し遅れましたが、実際解体前が柱の内倒れが12cmだったと。最大値が12cm、平均値が6〜7cmくらいでした。ところが、我々が作ったモデルでは精々2〜3cmという値しか出てきません。これは経年的な変化、ガタとか滑りとかそういったものが考慮されていないというがありまして、そこまではまだ考慮できていませんが、これで補強の方針は決められますし、その結果というのは検証できますので、必ずしも定量的にきちんとフォローできないから使えないということではありません。大体定性的にこういった状況だということがわかれば、このモデルを使って次のステップに進めるということになります。

最終的には、こういった委員会の途中なのですけれど、内倒れの問題、それから軒先の垂下の問題、それから組み物が回転するという問題に対してどう考えるかという形で、基本的には内倒れというのは先ほど言いましたように、横から水平力が生じますので、その水平力を小さくするか、その水平力を相殺するか、そういったシステムを組み入れると。軒先の垂下についてはそういった内倒れを抑えることで約4割ほど低減できるということが解析的にわかっていますので、軒先の垂下についてはそれほど積極的にやらずに内倒れをメインにする。それから地震につきましても、当時の直近の生駒断層を模擬した地震動で、大体、500galくらいの地震ができます。そういった地震で揺らしまして、大体1/25くらいの変形ということですから、反対に思ったより耐震性があったと、1/25くらいの変形を許容できるような収まりにすれば、そのような変形に追随できるような収まりをきちんとしていれば、耐震的には大丈夫であるという形であります。今回、耐震対策的には積極的といいますか、プラスアルファ的なことはしてないのです。ですからそれで今回の保存修理、大きな耐震壁とか方杖とかブレースとかはなく、現状のままで復元できたということになっております。内倒れに対する補強ですけれど、最初に言いましたけれど、この大虹梁をつくというのが構造的に考えても一番合理的なのです。

我々はこれをコンペの時に提案しました。ところがこれを行うと今までの大虹梁が違う働きをするということ、それからオリジナルの当初材と補強材が一体化されているということで、将来の改変にあたって非常に問題になるということで、これは現在の文化財の保存修理の方法からは、認められない方法です。はっきりと補強がわかるように、それから補強が分離できるようにという考え方です。所謂本物らしさということをきちんと守っていくということ、追加されたものは追加されたものでわかるようにしておくということが、考え方なので、最終的には持って回ったような屋根の補強ということで行いました。これは実際の絵ですけど、基本的には庇の上でブレースを組みます。これは先ほど言いましたように1/25の地震変形にきちんと対応できるような形で、柱を全部固めてあるということです。ここから方杖を出して左右の力を釣り合わせると、方杖ですから上向きに力を入れられます。この上に上がる力を屋根の荷重で抑えるということです。ここにこういったトラスを入れます。これは方杖の突き上げ力を屋根の荷重で抑えるためのトラスです。この上にはメインのトラスがあるというような、平成のトラスと明治のトラスは共同したようなつくりになっています。これは、水平材と鉛直材は、施工上の色々な収まりから、基本的には補強というのは天井のトラスと方杖、この突き上げ力を抑える阻止力を持つトラスと。この水平材と鉛直材は施工上の問題でいれた部材です。先ほど言いましたように、内倒れを起こす水平力が問題なので、その水平力を小さくするか、その水平力を相殺するか、というのがポイントなのです。

それで、まず屋根荷重を小さくしました。軒先、庇の部分の屋根荷重を小さくしました。所謂空葺きです。これによって大体内倒れが半分になります。さらに先ほど言いましたような内倒れをキャンセルするような屋根裏のトラスを組むことで、1/10になります。それからこの2つの効果を掛け合わせますと大体元々の内倒れ量の1/20くらいに抑えることができます。これで一応、このような結果が確認されました。さらに先ほど言いましたように、傾斜復元力というのは屋根の重さが復元力、建物を元に戻す力に寄与しているということですから、空葺きにするとまずいことが起こるのではないかということを確認しました。少し見にくいですが、これが建物の梁行き方向とけた行方向の耐力です。変形に対してどういう耐力かという各部位毎の耐力を足し合わせてこうなっています。これはオリジナルのものが灰色のこの耐力になります。空葺きにすると少し耐力が落ちて、剛性も少し寝て、こういう黒い線になります。これが梁行き、こっちがけた行です。それから、空葺きということでちょうど13%荷重が落ちていますから、その分だけこの耐力も落ちています。それで地震応答解析をしますと、ちょっと見にくいですが、地震力はこの屋根荷重が減った分だけ落ちます。ですから、地震力は大体9割ぐらいになります。これは中地震でも大地震でもそのぐらいになります。これは地震の大きさ、つまり応答がどの辺を走るかによって違うのですが、小さな地震では変形量はそんなに変わりません。ところが地震力が大きくなってくると少し変形量が大きくなってきます。所謂元に戻すちからが弱くなるという影響が現れて、大地震では1割ほど変形量が大きくなると、ただ地震力が1割ほど減るということになっています。それでも内倒れという物に対しては空葺きというものは非常に効果があるということになります。

それから最初になぜもたないかではなくてなぜもってきたかを明らかにすることをお話ししました。この一つの答えは簡単な答えなのですけれど、地震動の大きさと建物の耐力が違うと、建物の耐力のほうがおおきかったのだというようなことが単純にいえます。しかも唐招提寺の金堂の場合は、7割が柱の傾斜復元力であると、ですからこの太い柱と大きな屋根荷重が耐力を担保しています。それから地震力を上回ったということです。ここで、先ほど古代の知恵を解くということで、色々な技術の話をしましたけれど、保存改修・解体修理というそういうシステムですね、これが一つ重要だと思います。ここにある写真は鬼瓦です。鬼瓦をよくみると、この鬼の頭の部分に葵の紋が入っています。これは江戸時代の時に、改修が行われたと、その時のスポンサーが江戸幕府であり、こういったスポンサーに敬意を払うために、スポンサー側からなのかもわかりませんけども、こういった徳川の葵のご紋が入った鬼瓦が使われたということで、これがどういうことかといいますと、修理するという、ただ単に耐力があるということではなくて、定期的に壊れたところをきちんと修理するという保存のシステムがきちんと機能していたということが非常に大きなメリットだったと思います。修理のサイクルというのが50〜100年というのが確立していったということですね。それから、良く坂本先生が言われるのですけども、1200年もつ建物、昔の大工は1200年持つ建物を造ったのではないと、1200年持たせる価値のある建物を造ったのだと。だから、建物の価値、魅力、そういったものに人々が力を出し合って、残していったということです。ですから、建物を長寿命化するための一番のポイントは建物の魅力なのです。だから、良い建物を作らないと残らない、ということが言えるかと思います。

これが過去の地震も色々な地震があったので、過去の地震というのは宇佐見先生が歴史地震という資料をまとめられていますし、過去のお寺等の色々な被害の古文に残っていますから、そういったことからひもといて、大体過去にどんな地震があって、どんな被害があったかというのがわかります。それを用いたやり方で評価しますと、唐招提寺がここでは一番大きかった地震が1596年の慶弔の伏見地震。これは断層の繰り返しの周期とは違うのですが、統計処理すると、大体2000年ぐらいに一回の地震であるというふうに評価出来ます。この地震の大きさというのは400gal、40kineですから、震度で表すと6弱くらい、こういったものが過去最大であると。今回検討したのはこれよりもさらに大きな地震で検討しましたけれど、それでも1/25ということで、過去の地震も全てクリアできたということです。ですから、過去にその土地でどのような地震が起こったかというのは、日本にはかなり資料がありますので、こういったものを使うと、その建物の地震に対する被害、状況、歴史との対応もつくということです。これは補強のアニメーションを作ったのですが、こういった屋根の中に補強材がどのように入っていくかというようなことを分かり易く説明するためにということです。今回、我々構造屋と、お寺やあるいは文化財というそういったディスカッションするのに、こういったCGを使うことでお互いに理解しやすかったということですから、コンピュータの発達というのは、こういった文化財、伝統木造にも非常に大きな役割を果たしているなと思います。これはジョイント部です。基本的に部材は抱き合わせで作って、できるだけ外に出さないようにという風な形で、工夫してやっております。

あと、10分ほど時間がありますので、10年間の保存修理の記録というのを、10年間を10分で話すということにしたいと思います。以下は、私が取った写真もありますが、唐招提寺のホームページで公開されているものもあります。それから、TBSさんが色々とバックアップされていますので、TBSさんのホームページからとったものもあります。そういったものを色々混ぜて使っています。基本的にまず素屋根といいますか、解体工事をするにあたって、大きな屋根を架けます。素屋根のかけ方は、トラベリングと言いまして、移動をして作るのです。建物の周りに全部クレーンを入れるスペースがないので、ある端っこの方で架構を作って、それを順に送り出して、トラベリングという移動工法という方法でやりました。これのメリットは解体が非常に安全にできます。つまり、修理が終わって、建物が非常にキレイになった状態でクレーンで周りから解体しますと、落下物などそういったもので、せっかくできた建物に傷をつけるおそれがありますので、解体が容易だということで、解体が容易な移動工法を使います。現在できております、平城京の大極殿、あれは周りに何もないですから、あれも施工はトラベリングで素屋根を作りました、解体もトラベリングでやりました。あくまでも竣工時の安全性を考えて、非常にメリットのある工法だということです。建物はこれくらいの大きさで素屋根はこのくらいの大きさです。28mといった素屋根の大きさです。

ここに時系列を書いていますけれど、2000年あたりから準備を始めまして、ちょうど素屋根を作っている時に3体の仏像を搬出するということです。これは素屋根が出来た状況です。これが鬼瓦です。天井を走るクレーンがありますので、ものの運搬というのはメリットがあると。鴟尾をつり上げて出したというのが2001年です。それから大棟を解体する、それから隅棟を解体するというのが大体2001年の8月とちょうどこのあたりですね。最初の4年が解体で、あとの4年が組み立てとなっておりまして、この辺にあたります。それから丸瓦を人力で落として、平瓦も落とすという形です。それから土居葺きを解体するという、これは杉皮です。それからあとは野地板を解体して、野地板はかなり再利用されていますので、奈良県の方というのはこの釘の穴や釘の位置というのを丹念に調査されています。それから野垂木、小屋組という段階で2001年の段階です。それから2002年に入ってトラス明治に作った金属のトラスです。これを解体しました。今回トラスというのはこれ以上は解体していません。解体するとねじれが出て、あとで組み立てにくいですから、トラスはとりあえずこの状態で解体しておいているという状況です。それからこれが2002年3月の羽木です。羽木というのはこういう形で放射状に入っています。隅木の部分は羽木の長さが長いですから、その分本数も多くなっております。ここで当初からなのですが、この等身大の羽木に削ったような模様が入っているのですね。ちょっと理由がよくわからないのですが、墨付けするためのものであるとか色々言われていますけど、このような模様が入っています、羽木になっています。それから小屋組の解体です。

一つ面白いことは、年輪年代表という木材の年輪から伐採の時代を推定する方法が確立されています。今回、地垂木の年輪年代表を行ったところ、一番外側のところが残っているようなところの地垂木が、その伐採された都市が781年ということで、このあとまもなく金堂が竣工したのではないかと、8世紀末という風に言われております。地垂木というのは創建時には、立派な構造材でしたけれど、あとは羽木が屋根を抑えることによって、地垂木は化粧材ですね、長さもまちまちです。構造的には特に要求されませんのでまちまちです。ところが、端部を見ますとこういうような状況で、加工がされています。これはどういうことかというと、当初のここの加工です、この加工のあとから残っているということです。それから地垂木が転用されていたと。これは法隆寺の食堂の屋根ですが、こういうような形ですね。こういうような形で地垂木は使われますので、こういう後が残っているということがわかりました。これから、復元された屋根の勾配というものも大体わかります。それから地垂木尾垂木の取り外しというのがあります。

それから、面白いところで、隅に東西南北に鬼があります。隅鬼といいますけども、これも一つの構造材で、支柱です。こういったものもあります。これも年輪年代で推定されて、大体636年から500年と。一番向こうにあるのはこれは江戸時代に追加されたものですけど、やはり時代によって大分表情が違います。それから2003年に鴟尾が新しく作られました。今回、鎌倉の鴟尾と天平の鴟尾は全て下におろされて、別のところで展示されているということです。大虹梁がこういった形で2002年に解体されて、さらに天井格子それから庇天井とが解体されているという状況です。それから庇虹梁関係、それから蛙股も外したと。それから、小壁です。こういった文化財の解体というのは壁土は再利用します。ですから表面の漆喰をはずして、ワラ、土壁は、敷地の中に作られた田んぼでまた再利用といいますか、ワラを入れて再構築されて、それが再利用されているという状況です。それから内倒れの問題というのは真ん中が一番大きいです。ですからこれは少し湾曲した形になっています。ここから内倒れの大きさがわかります。それから特に仕口関係ですね、頭貫のあたりの割れって言うのが、かなりひどいです。こういった縄で絞めているというのが現状です。それから柱の解体が終わって、地垂木関係は必要なものは新しく作っております。それからこれが全部並べた解体が終わった柱。解体が終わった材料については、現地で曲げヤングといいますか、固さ試験、それから破壊試験は技研の方でやりました。これが基壇の調査、それから、礎石です。基壇もこのように2重基壇の頑丈な物であることが今回分かっております。柱の補修ということで、頭貫の部分をこのような形で補修されると言うこと、それから、釘穴もきちんと補修されていると。それから将来のやせを考えて少し、新しく追加したものは大きい面積をとるということらしいです。2005年くらいから柱の組み立て、柱の根継ぎ、足下をよく見ると、先ほどは地長押等でわからなかったのですが、解体すると、柱が36本あるのですが、根継ぎされているものが10本ありました。かなりの部分、これはやはり水はけの問題です。足下が傷みやすいということで、このように根継ぎされているというような状況でした。升の繕い関係、レベルの調整関係もここで行われているという形です。それから天井の組み立て、構造の補強も合わせて、模型を作ったというのは構造補強材がどう入るか、どう施工できるかというスタディもあって、こういった模型も作られています。組み立てで小壁、それから尾垂木の組み立て、それから隅尾垂木の新しい部材がこうはいったということです。

今回補強は、ジョイントは鉄を使いました。一応、弱点を作らないという方法で、鉄という形で、ここの右にあります組み物さえ一応ジョイントするという、ここだけは表しになっていますが、あとは少し鉄という形になっております。それから、新しい物については見えますので、一応職人が塗装をしております。それから天井のトラス、補強された新しい地垂木関係がここに見えます。それから尾垂木関係、少しお尻を調整しております。またこういった形で平成は鉄を使うということで、補強材はヒノキです。ジョイントは鉄です。収まりを考慮して、断面を抑えるのに接合というのは一番鉄が良いだろうということで鉄を使っています。あと一つ面白いことに、彩色と言いまして、色々な大虹梁、扉、鴟尾、天井という形で、色々な模様の跡が残っています。それをたまたま、扉の金物をはずしたところ、その色が現れてきたと言う形で、青とか赤とかこういったものが現れたと。これは2006年の8月、これはかなり新聞でも取り上げられて、話題になったと思います。それについて、これは竣工の時にテレビで放映されたもので、その彩色の跡からどういう風な色が想定されるかということをコンピューターグラフィックで再現したという、扉、大虹梁、それから天井、このへんの残っているものに色を付けたということなのですが、ちょっと見ていただけると。(VTR再生)唐招提寺ですから唐のお寺ですね。唐のきらびやかさというのがわかります。金堂というのは金ですから、金の仏像、それから天井、それからこれが大虹梁にかかれた天女ですね。あとは補強材の取り付け、それからトラスの補強材、こういう形で母屋、野垂木、野地板、土居葺き、瓦がこういう葺き方であると。

最後に感想といいますか、1000年以上なぜ建物が残っているかとは、やはり基本的に工夫してきたからということになるかと思います。古代の技は色々あるということで、木の横使いを初めにして、色々これからまだ考えていかなければならないところがたくさんあるということです。これからどうするかということで、やはり伝統の技というのは、ある考え方なのですが、失敗のフィルターで濾過されたものが伝統の技なのです。ですから、あらゆる失敗を経験したのが伝統の技で、これからの失敗するリスクが一番少ないのです。ですから、今残っている伝統の技があれば、それをそのまま使うのが一番安全だという考え方です。そういったものが伝統の技なのです。反対に何故壊れなかったかと、そういったことを解き明かすのが非常に大事であるということです。これからどうしていくかということで、伝統というのは革新で生き残るということがありますので、やはり積極的に新しい技術を取り入れていくような、伝統というのは元々そういうような包容力がありますので、そういう風なことも重要だと。ただ、安易にやらないこと、それから失敗することも考えるということが必要だと思います。それから、今回の委員会の一つのミッションでもありますけど、伝統の技が当たり前に作られるようなそういった状況を作ると、ものがないと技術は生きない。ですから物が作れるということが一番大事で、そういった状況を整備していくというのが、今回の委員会の一つの役割だと思います。それから古い物は新しくなり、新しいものは古くなるということがあるのですが、私が最初に唐招提寺で考えたのは、唐招提寺は設備がないのです。電灯、冷暖房、火災報知器というものです。つまり設備というのは5〜10年で更新すべきものなのです。最新のものを入れるとすぐに古くなって、更新が必要になると。ですから、新しいものを入れるときには、それが古くなった時にどうなるかを必ず考えて使う必要があります。私がこの唐招提寺を見て思ったのは、古くなるところがないのです。最新のものがないというか。そういった逆説的ですけど、古い物、新しいものをどうしていくかということ、100年後200年後どうしていくかという考え方が大事だと風に思います。最後これが修理保存前と保存後の建物の外観です。終わります。どうもありがとうございました。

浦親憲 教授(第一部司会進行):ありがとうございました。それでは時間もおしておりますので、一点だけ、非常に効いてみたいことがございましたら、どなたかおられますか。挙手をしていただければ。おられませんか。はいどうぞ

[質疑] 小西構造設計の小西と申します。先ほど、応答解析をされているというお話が御座いました。先ほどのお話ですと500galで1/25の変形という、今のお話のなかですと、スパン方向というふうに思われますけども、けた行方向がどういう状態であったかということと、それから振動のモデルですね、どういうようなモデルで検討されましたかということをお聞きしたいのですが。

[回答] 後資料をお見せしませんでしたけども、一応立体といいますか、3次元の、奥行き、高さ全部あるような立体モデルで、ですからけた行も梁行きも両方できます。最大値ですが、けた行方向が確か1/25と出たと思います。かなりの時間をかけて、応答解析をしたということです。それぞれの柱のばらばらになる具合とか、それらを庇天井で一体化した場合とか、とうことでやりましたので、ある程度の10年近く前になりますけど、その当時の最新の方法でやったということです。

浦親憲 教授:浦先生:ありがとうございます。時間が押しておりまして、この1点だけで終わりたいと思います。再度、長瀬様への暖かい拍手で終わりたいと思います。